観客席視点からの立ち技系女子格闘技
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女子シュートボクシングの歴史

 Boxing

sb 日本で最初の女子のプロ格闘技団体は1974年に誕生した日本女子キックボクシング協会でした。一時はゴールデンタイムに放送されるなど注目を集めましたが、スポーツとしての評価と人気を得られなかったため80年代に歴史を閉じます。

 1985年に旗揚げしたシュートボクシングに、その日本女子キックボクシング協会から移籍して来たのが、チャンピオンだった仁あきら(じんあきら)選手です。

sb 仁選手の参戦により、シュートボクシングはその初期から、男子と同じ大会に女子の試合を組んで興行をスタートしました。こうしてシュートボクシングが現在の女子格闘技の最初の発火点を作っていきます。初期の功労者には仁選手のほかに吉開若菜(よしかいわかな)選手がいました。(写真2枚は1986年のシーザージムを取材した『SCOOP』)

 90年代に藤山照美(ふじやまてるみ)選手、石本文子(いしもとふみこ)選手、中村ルミ(なかむらるみ)選手などに世代が移ると、キックボクシングや女子プロレスとの対抗戦が話題を呼び、女子シュートボクシングは最大の盛り上がりを迎えます。

 藤山照美選手は、あの伝説的キックボクサー熊谷直子(くまがいなおこ)選手と4度の名勝負を戦い、2勝2敗という互角の結果を残しています。体重47キロ前後の藤山選手は、正確な階級分けでは熊谷選手より1~2階級下になるはずで、それでこの戦績は本当に見事です。

 角田紀子(つのだのりこ、NORIKO.T)選手は新人の頃に、この藤山選手から完勝を奪いSBファンにショックを与えました。

sb 石本文子選手は全日本女子プロレスとの対抗戦で伊藤薫(いとうかおる)選手(現・伊藤道場)、空手出身の前川久美子(まえかわくみこ)選手を連破し、WWWA世界格闘技王座を獲得。ブリジット・ライリー選手(アメリカ)にSBルールで判定勝利など存在を示しました。(写真は東京ドームでの対伊藤薫戦を伝える『ゴング格闘技』)

 SB内部での名勝負も数多く、レディース王座(SBクイーン)をめぐって熾烈なベルト争奪戦がおこなわれました。当時の女子王座戦のルールは、第1ラウンドが5分、第2ラウンド4分。これで決着がつかないと、さらに第3ラウンド(3分)が行なわれるという超過酷なもの。

 初代クイーンは藤山照美選手、続いて石本文子選手、神風杏子(かみかぜきょうこ)選手、もう一度藤山照美選手、中村ルミ選手、と5代まで王座は継続(現在は空位)。

sb これらの女子王座戦の映像は現在ほとんど入手不可能ですが、第5代SBクイーンが誕生した中村ルミ選手と藤山照美選手の激闘はシュートボクシング20周年記念DVD “SHOOTBOXING 1985-2005 The 20th Anniversary RED CORNER”で見ることが出来ます。

 その後、黄金期を支えた主力選手の引退や、女子キックの衰退、女子総合格闘技の台頭などを背景に、ここ数年間は女子SBは冬の時代を迎え、レディース王座も凍結されました。

 最近、ふたたび陽光があたりはじめた女子シュートボクシングのリング。このきらめきは本物か、まぼろしか。まだまだ結論を急ぐ時期ではありませんが、ファンとしては新しい時代の光を心から期待したいと思います。

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コメント

  1. たく より:

    懐かしく思います、名勝負が多かったですよね、吉開選手の防衛中まではSBよく行ってました、昨今は盛り上がりに欠けて女子戦から遠ざかってました、確か熊谷選手をローで潰したのは藤山選手でしたっけ、今は復活したのかな?、マッスルクィーン久江選手の今後に期待です、SBでないですが、MIKU選手に王座奪われたマッスルクィーン対決のリベンジ見たいです。

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