観客席視点からの立ち技系女子格闘技
スポンサーリンク
スポンサーリンク

特殊な世界の特殊なみなさん

 日本のスポーツマスコミにはちょっと変わった傾向があって、試合そのものよりも昭和の表現で言えば『浪花節(なにわぶし)』『お涙ちょうだい』的な話が大好きなようです。とにかく、スポーツ本体とは関係のない話をしたがりますよね。

 で、格闘技ライターになると、それのもっとひどいタイプの人が多いようです。インタビューで関係無い方向に引っ張っていったり、試合写真よりコスプレ写真のほうが大きかったり、完全に試合から離れて妄想みたいなことを書いている人とか。

 どうしてこうなったかというと、昔ものすごい影響力を持ってた雑誌で『週刊プロレス』というのがあったんです。ここの編集長のターザン山本さんというのが、部下に「なんでもいいから面白い記事を書け!」と命令していました。

 ところが、週プロの記者さんというのは自由に好きな大会の記事が書けるわけではなくて、それぞれに担当の団体が決まっていました。ですから、面白い団体の担当の人はいいですけど、そうじゃない団体の人は困ります。なにしろ面白かった記者さんのページを増やして、つまらなかった記者さんのページを減らすという編集方針ですから、つまらない団体の担当記者さんは死活問題。

haru
 それで、試合の描写はそこそこで切り上げてあとは『面白いエピソード』をたくさん書き込むスタイルの人が出て来ました。個人的な感想やほとんど思い込みのような話を極端な煽り文章で延々書くとか、団体の楽屋話を詳しく書き込むとか、誰と誰が仲が悪いとか、この選手には人格的なこんな欠陥があるとか… もう、ウソでもなんでもいいから刺激的なことを書けばいいという路線になって、これが困ったことにファンに大受けだったからさあ大変。いいことを書かれた選手や関係者は人気が出たり大会場が満員になったりしてラッキーですが、悪く書かれた人はファンに憎まれたり、お客さんが来なくなったりヒドイめにあいました。当時はインターネットも何もない時代ですから、雑誌に書いてあればその影響力はすごいんですね。

 そしてそのペン先ひとつで団体をビッグにしたり潰したりという週プロさんが作る現象までを含めて面白がるファンが生まれて来ました。その人たちは過激な文章さえ書ければ自分もプロレスラーと同じかそれ以上の存在に成れるような気になっちゃったのです。

 週プロに入りたい、山本さんみたいな仕事がしたい、山本さんは自分の師匠だ、と思うひとはたくさんいたのです。その代表格が谷川貞治さんですね。で、谷川さんが編集長をして一時は凄い勢いで売れていた『格闘技通信』の読者のなかにもそんなプロレスと格闘技の見方の区別が付かない人が多くいたわけです。

 『格闘技通信』はインターネット時代になっても雑誌が業界を自由に出来た頃の支配者意識が消えないまま廃刊となりました。

 現在、格闘技界でライター、評論家、関係者と名乗っている人の中には、週刊プロレス~格闘技通信のファンだった人が少なくありません。あるいはそれにライバル意識を燃やしていたり、とにかく彼らの影響を受けた、その時代の人たちです。

 彼らの特徴は、事実よりも話題性が大事、誇大な前宣伝、試合内容にあまりふれない試合記事、誉めるかけなすかの極端な評価、選手よりも自分が上であるような錯覚、やたらと感情的、試合自体よりも文章表現に価値を置くなどです。また、公式に決まった判定結果には基本的に疑問をはさまないか擁護します。

 つまり、全然客観的じゃありません。

 若い人たちにはプロレスと格闘技が混ざって存在していた時代のことなど想像も出来ないでしょう。でも、特に格闘技マスコミにはその時のままの感覚のひとがたくさんいるのです。彼らはしぶといですよ(笑)。気をつけましょう。

コメント

スポンサーリンク
スポンサーリンク