Boxing
日本人初のWBC女子チャンピオンとしてボクシングの歴史に名を刻んだ菊地奈々子選手が先頃引退を発表しました。
菊地選手がデビューしたのは2003年。日本に女子ボクシングの組織が生まれ、定期的に試合が開催されていた時期です。
デビュー2年で7戦5勝1敗1分という戦績をマークした菊地選手は、2005年11月にタイでおこなわれたWBCミニフライ級(ストロー級)王座決定戦にTKOで勝利してベルトを獲得。これは日本人として初、世界でも10人目のWBC女子チャンピオンの誕生でした。
当時、国内ではWBC女子王座は非公認で、防衛戦の国内実現は困難だったため、2006年に敵地タイで同王座を初防衛。菊地選手は世界王座の敵地奪取と敵地防衛の両方を達成した日本人ボクサー第1号となります。
同王座は2007年にカリーナ・モレノ選手(アメリカ)に判定で敗れてあけ渡しますが、2008年からJBCが女子ボクシングを公認することを機に白井・具志堅ジムに移籍して再出発した菊地選手は、2009年にOPBF東洋太平洋ライトフライ級王座を獲得。
同王座を2回防衛後、WBCの王座を奪還すべく、2010年9月に三代目王者アナベル・オーティス選手(メキシコ)に後楽園ホールで挑戦。しかし判定で敗れて王座返り咲きはならず、菊地選手は自身のボクサーズロードに終止符を打ちました。
公式戦以外の菊地選手の強烈な記憶としては、2007年7月の後楽園ホールでのエキジビションマッチがあります。
菊地奈々子 vs 柴田早千予
ボクシング元日本王者の早千予選手(白龍ジム)とのヘッドギア無し2ラウンドのボクシングマッチの後、マイクを握った菊地選手は「早千予選手はキックで世界8冠王、わたしはWBC前王者です。この2人の対戦がどうして第一試合なんですか?主催者の人には馬鹿にするなと言いたい。」と発言。男子のプロ選手でもなかなか口に出来ない主催者批判をリングの上で堂々とやってのける度胸と、ボクシングにかける誇りと情熱がストレートに伝わってきて、非常に感銘をうけました。
後楽園ホールの歴代世界王者記念プレートにはどういうわけかいまだに菊地奈々子選手の名前がありませんが、そんなこととは無関係に私たちファンの胸にはあなたの功績は深く刻まれています。素晴らしい試合をたくさん見せていただきありがとうございました。
菊地奈々子 きくち ななこ
所属
代々木ブルースカイジム 白井・具志堅スポーツジム
戦績
17戦12勝4敗1分5KO
獲得タイトル
WBCミニフライ級(ストロー級)王座 2005~2007年 防衛1回
OPBF東洋太平洋ライトフライ級王座 2009~2010年 防衛2回
関連記事 菊地奈々子 対 WBC王者アナベル・オルティス 詳細
関連記事 菊地奈々子 vs ジェレミー・タバスタバス 東洋タイトルマッチ 詳細
関連記事 OPBF東洋太平洋ライトフライ級タイトルマッチ 菊地奈々子vsヤニー・ゴーギアットジム 詳細
関連記事 G-Legend2 OPBF東洋太平洋ライトフライ級王座決定戦 菊地奈々子 vs 江畑佳代子 詳細
関連記事 猪崎かずみ vs 菊地奈々子 エキシビションマッチ
関連記事 富樫直美VS菊地奈々子 雑感
コメント