Boxing
ボクシングの判定が「おかしい」と議論になった場合に、「まあ、ボクシングはいろんな見方があるから」という声を聞くことがあります。
「見方」というのが「価値観」という意味なら、それはたしかにそうです。強打者が好きな人、テクニシャンが好きな人、ボクシングの好みは人それぞれですから。井岡選手と八重樫選手でどちらが好きかというのは意見が分かれますよね?そういう意味ではボクシングの価値観はいろいろあってあたりまえです。
しかし、それはファンレベルの話であって、判定を任されている人(ジャッジ)にはいろんな見方は許されてはいません。ジャッジにはハッキリとした価値基準が示されていて、その方向で試合を判断します。
よく誤解されていることですが、ジャッジが3人いるのは「いろんな見方を公平に取り入れるため」ではありません。ひとりやふたりでは見落としてしまうかもしれない部分を3人の目で見てカバーしましょうということなのです。
そうは言っても、ジャッジも人間ですから、国際戦の場合はひとつの国に偏らないように、ジャッジの人選には配慮がされます。でも、その場合でももとになる価値観は本当は同じのハズです。
ボクシングは、有効打、攻勢、主導権、防御の4つの要素でまさっているほうが勝者となる競技であり、それ以外の要素はありません。
なかでも一番大事なのは「ラウンドごとの有効打」であり、その差の無かった平凡なラウンドを「どちらがより攻勢だったか」「どちらが主導権を握っていたか」「防御が優れていたのはどちらか」などで判断します。
繰り返しますが、一番大事なのは「ラウンドごとの有効打」。それ以外の要素はサブ的なものであり、中心要素ではありません。
しかし、新聞や雑誌の記事、テレビの中継などで、そのあたりが故意なのか無意識なのか、かなりゴチャゴチャに扱われています。
「この試合では打たれながらも前へ前へという姿勢がポイントになりましたね」
「今回はパンチはともかく主導権(リングゼネラルシップ)の評価が大きかったですね」
という具合です。だけどこれはおかしなことです。一番大切なのは有効打だと決められているのですから。
もちろん関係者ならジャッジの基準ぐらい心得ています。こういう言葉は、コメントしにくいときのゴマカシと言うか、逃げの表現なのでしょう。
先日の天海ツナミ選手と山口直子選手の試合について、「前に出ていた山口選手の攻勢点を評価すれば判定はおかしくない」という説があるようです。が、いくら前に出ていたとしても、有効打をもらっていたラウンドではポイントは相手に流れます。有効打が何よりも評価されるのはプロボクシングの基本です。
困ったことに、そのへんを誤解している人は多いみたいです。メディアが使うゴマカシの表現の弊害なのでしょうか。
以前に、多田悦子選手がヤニ・ゴーキャット選手と戦った試合でも、わたしたちは判定がおかしいと書きました。
その試合ではヤニ選手がガンガン前に出て、多田選手が押されて下がるラウンドがほとんど。結果は多田選手が96~97ポイントを獲得して3-0の勝利でしたが、メディアはこの試合を「下がりながらもカウンターを当てたことが多田選手のポイントにつながった」と書きました。
しかし、ポイントにつながるのはカウンターかどうかということではなくて、有効打がどっちが多いかということです。
ヤニ選手は単に前に出るだけではなくて大量の有効打をヒットしていました。その一点だけでも、この試合はヤニ選手のものだったと思います。ヤニ選手のボクシングはお世辞にもうまいとは言えず、技術的には低レベルかもしれませんが、有効打は彼女のものでした。成す術なく大量に被弾しながらときおり打ち返した多田選手に97ポイントが入ったことをおかしいというメディアは皆無でした… 。
ボクシングにかかわるすべての人にお願いします。あるときは「前に出る姿勢が評価された」と言い、あるときは「下がりながらもカウンターを当てたのが評価された」というような矛盾した視点で試合を語るのはやめましょう。ちゃんと有効打があるラウンドでは、前に出るとか下がるとかは関係ありません。有効打が試合の主役だということをハッキリさせましょう。
また、「ガードに当たっても有効打になる」という都市伝説を流すのも勘弁してもらいたいです。有効打とは、ナックルの部分で相手の体の有効な面にヒットさせることであり、ガードを叩くのは有効打ではありません。混乱させるようなことを言うのは良くないことです。
メディアの人たちは出された結果に沿うような形で試合を報道します。そのためにはいろんな表現を使います。それを目にした一般の人たちはよく理解出来ずに「ボクシングはむずかしい」と思ってしまいます。
しかし、本当はそんなにむずかしいものではありません。野球でもサッカーでも柔道でもどんなスポーツでも、時々、誤審というものがおこります。それを誤審と言わないで説明しようとするからボクシングはむずかしそうに見えるのです。
もちろん、判断するのが困難な試合もあるでしょう。ひとつのラウンドにどちらにも有効打があって、その質や量をその場で見極めなければならないというのは専門家の高度なスキルが必要でしょう。
しかし、少なくても、天海ツナミ選手 vs 山口直子選手、多田悦子選手 vs ヤニ・ゴーキャット選手は、そこまでの混戦ではなく、見るポイントさえゆるがなければ白黒は明確だったと思います。
そういう試合でどうして誤審が生じるのかはとりあえず置いておくとして、とにかく、へんな判定にはへんだと言う、わたしたちはそんなボクシングファンでありたいと思います。ボクシングが競技スポーツであるために。
*写真と本文とは関係はありません。
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